酵母ってすごい

Shiro Yamada
Nov 19, 2022

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先日書いた科学読物的駄文「私達はビール酵母に支配されている」がちょっと好評だったので、気を良くして酵母についてざっくり語りたいと思います。ざっくりなので専門性や正確性はある程度勘弁ください。また、ビールの醸造には全く役に立たない内容なので、実用的な内容を求める人はぜひ「Yeast: The Practical Guide to Beer Fermentation」などを読んでみてください。この本はうちの製造チームの勉強会課題図書になっているようです。なお、この投稿の「酵母」は出芽酵母といわれるSaccharomyces cerevisiaeとその近縁種を指します。

酵母はある意味人間より優れていると思っています。まず、冷凍や乾燥を経ても再活性することができます。私達が使う乾燥酵母は、ふりかけみたいな粉をそのまま麦汁に入れても発酵することができますが、よく考えたらすごいことですよね。魚の干物を水槽に入れても再び泳ぎだしたりはしないので。また、酵母は嫌気発酵によって酸素がなくても生きていけます。細菌(バクテリア)や古細菌(アーキア)の中にも酸素がなくても生きていける生物はたくさんいますが、真核生物である酵母も酸素がない環境でもエネルギーを獲得して生きていけます。真核生物の誕生はシアノバクテリアの光合成によって地球の酸素濃度が上がった後(24億年前から19億年前の間)と言われています。アーキアの一種アスガルド古細菌が、バクテリアの一種であるミトコンドリアの祖先を細胞内に取り込み、酸素を解毒する能力と酸素呼吸によるエネルギー(ATP)獲得能力を得ました。それ以前は地球にはO2という形では酸素がほとんど存在しなかったので、酸素(O2)は生物にとって毒性の強い化合物だったのです。その後の地球では藻類や植物の誕生で酸素濃度が高くなっていったので、極限環境・嫌気環境を除いては酸素を活用できる生物が主役になりました。その結果、現在では酸素がないと生きていけない生物が主流です。酵母も真核生物として長い進化の果てに現存しているのですが、今もなお嫌気環境下で生きられる能力を維持しています。なんか不思議な感じがしますね。

酵母の生活環

酵母は細胞分裂します。人間の細胞が分裂して増えるのと同じイメージです。出芽酵母の場合はこの分裂は出芽と呼ばれます。母細胞から芽が出るように娘細胞の素が小さく出て、それが大きくなると出芽という形で分裂します。核分裂を伴って母細胞と同じDNAを持つクローンを作るので、多細胞生物の体細胞分裂と同じです。ところが生活環全体を見ると様相は随分違ってきます。酵母の染色体数は16個、2対で32個です。人間が23個で、2対で46個なのに相当します。人間の細胞は、常に倍数体(二倍体)で2対の染色体を持つのですが、酵母の場合は一倍体と二倍体が両方存在します。一倍体でも二倍体でも出芽による分裂をしますが、一倍体の時にはa体とα体が接合することで有性生殖をすることがあります。つまり酵母は、繁殖の手段が分裂と有性生殖の2つあるということになります。二倍体時に栄養枯渇状態になると、減数分裂をして胞子形成後、a体・α体それぞれの一倍体として発芽することで生活環のサイクルを回します。めっちゃ不思議ですよね。

ビールの下面発酵酵母(ラガー酵母)はSaccharomyces pastorianusという種ですが、長らく分類上の論争がありました。Saccharomyces cerevisiae種の株(Strain)の一つなのか、別の種なのか、別の種だとしたらどんな種を親に持つのか。現在ではゲノム解析の結果、S. pastorianusS. cerevisiaeとは別の種で、S. cerevisiaeS. eubayanusを親に持つということが分かっています。ちなみに、サッカロミケス属(サッカロマイセス)にはS. cerevisiaeS. pastorianusなど500種あり、それぞれの種に数千の株(Yeast Strains)があるそうです。ビール業界でAmerican Ale 1056とかLondon Ale III 1318とか言われるのが株です。ラガー酵母の起源を見る限り、種の中の異なる株同士だけでなく、属の中の異なる種同士も場合によっては交配可能なようです。

さて、酵母の中でも私達ビール屋が扱うのはBrewer's Yeastと言われるものです。同じS. cerevisiaeでも野生株とBrewer’s Yeastではかなり挙動が違うようです。まず、Brewer’s Yeastとは何かというと、「ビール造りにおいて好都合な性質を持つ酵母を長い年月をかけて選抜育種したもので、現代では株ごとに単離され酵母会社で管理されているもの」と定義できると思います。ほとんどのクラフトブルワーが酵母会社から酵母を買っているので、敢えて「酵母会社で管理されているもの」と言いましたが、大手ビールメーカーのように自社で培養・管理しているものもBrewer's Yeastと言えます。野生株と違って、減数分裂・胞子形成しない(しづらい)ものがほとんどで、醸造に使う酵母はほぼ二倍体の状態です。ちなみに日本酒版のBrewer's Yeastといえば協会系酵母。きょうかい7号とか9号とかが有名です。これらの酵母も胞子形成をほとんどしないそうです。減数分裂・胞子形成をしないと、遺伝的な多様性があまり出てこないので、常に一貫性のある造りができて、ビール・酒を造る側としては好都合となります。交配して新しい株や種を作るときは大変そうですが。

Brewer’s Yeastのもう一つの特徴としては凝集性があります。英語ではFlocculationと言われるものです。ちなみに同じ凝集性でも科学用語的にはAggregationとFlocculationでは状態が違うそうですが、専門的すぎて私には説明できません。よく「この酵母は凝集性が高いから扱いやすい」とか言いますよね。発酵終了後に酵母同士が集まって沈降する度合いを指します。本当は上面発酵酵母はまずは上部で凝集するらしいんですが、オープンファーメンターじゃないとよく分かんないですよね。いずれにしても時間が経つと下に落ちてきます。野生株はほとんど凝集しないらしいです。野生株はいつまでも粘り強く糖を求めて液中を彷徨ってます。Brewer’s Yeastはなぜ凝集性が高くなったのか、それは凝集した個体だけ回収してリピッチされていくからです。ビールの中を彷徨い続ける個体は次のビールには使われないので選択的に淘汰されていき、Brewer’s Yeastは凝集性が高くなったというわけです。とはいえ、ヴァイツェンとかセゾンの株は凝集性が低いですけどね。まあきっとそれでも野生株よりは高いのでしょう。たぶん。

Brewer's Yeastに限らずですが、酵母ってすごいなあと思うポイントがもう一つ。分裂回数に限界がないのです。正確にいうと母細胞では通常20回くらいが分裂(出芽)回数の限度です(リピッチを続けると死滅率が高くなるのはこの影響があるのかも)。ラボ環境では50回くらい出芽できるそうですが、それでもそれが限度です。ところが娘細胞は老いた母細胞から出てきたものでも、フレッシュな細胞として誕生するので、そこからまた20回出芽できます。つまり新たに出芽によって生まれる酵母は常にフレッシュなので、そこからどんどん世代が新しくなって事実上無限に分裂できるということです。動物界の一部(たぶん脊椎動物)にはヘイフリック限界というものがあって、体細胞の分裂回数に限界があります。人間だと50回と言われており、これによって人間の寿命の限界は120歳くらいだとされています。原因は細胞分裂のたびに染色体の端にあるテロメアが短くなり、ある程度以下になると細胞分裂できなくなるからだそうです。酵母においてはテロメアは分裂回数の限界には関わってないということです。テロメアの消耗の代わりに出芽痕というのがあるんですが、そのあたりは割愛。ちょっとマニアックな話になってしまいました。これ以上は「ヘイフリック限界」とかでググってみてください。

Far Yeast もりともり RICE ALE

酵母の話に関連して、うちのビールの宣伝です。山梨県北杜市の米を使ったビール「もりともり RICE ALE」は、日本酒の協会系酵母を使っています。華やかな吟醸香に包まれながら、酵母への思いを馳せる、、、いかがでしょうか^^

参考図書:「Yeast: The Practical Guide to Beer Fermentation」「カラー図解 アメリカ版 新・大学生物学の教科書 第1巻 細胞生物学

オマージュ: 「今もあの日の生物部 — 生物をざっくり紹介するラジオ ~ぶつざく」「サイエントーク

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Shiro Yamada

ビール、蒸留酒 Far Yeast Brewing株式会社 代表取締役 https://faryeast.com/