クラフトビールの定義問題

Shiro Yamada
Feb 23, 2022

従来から私はクラフトビールとは何かを人に説明するときには、Brewers Association(BA)の定義を引用して、小規模で、独立性があり、伝統的という3つの条件を満たす必要があると言っていました。少し前にBAは定義の一部を変更して伝統的という表現を削りましたが、基本的には小規模で独立性があるという前提は変わっていません。ここ数年クラフトビールの定義に関して、いろいろな石が投げ込まれて、以前までは鏡のようだった湖面に様々な波紋が広がっていますので、もう一度クラフトビールの定義に関して自分の考えをまとめることにしました。

まず前提として、ビールに限らず物事は先駆者が成した事績を尊重して、その上に持論だったり、自分の事績を展開することで成り立っています。科学や学術の世界でも先行して発表された論文を引用して持論を展開するし、ビールでも例えばヴァイツェンを造るなら南ドイツで昔から造られていたスタイルに敬意を払ってオリジナルを尊重した上で自分たちのヴァイツェンを造るはずです。クラフトビール(Craft Beer)という言葉は、スティーブ・ヒンディ著「クラフトビール革命」を読めば明らかなように、数十年前からアメリカで普及したものであり、現在世界中に広がっているクラフトビールのムーブメントはアメリカのムーブメントの延長線上にあります。したがって、日本のクラフトビールの定義を考える上で、アメリカでどう定義されているかを無視することはできないと思います。そういうわけで私は以前からクラフトビールとは何かを説明するときにはBAの定義を持ち出しており、今もそれは変わりません。

ただし、少し枝葉末節のことを言えば、BAは厳密に言うとクラフトビール(Craft Beer)は定義していません。有名なこのページが定義しているのは、Craft Brewer(クラフトビールの造り手)、しかもAmerican Craft Brewer(アメリカの造り手)なのです。BAがなぜCraft Beerじゃなくて、Craft Brewerを定義しているのか、(私の推測ですが)それは醸造者の団体だからだと思います。醸造家たちが自分たちの存在を定義しているということです。しかもアメリカの団体だからAmerican Craft Brewerと言っています。ただし、Craft Brewerが造ったビールがCraft Beerであることは文脈上明白なことには変わりないです。BAが運営しているサイトCraftbeer.comの「What is Craft Beer?」というページでは、”Trying to define craft beer is a difficult task, as beer can be very subjective and a personal experience.”(ビールは非常に主観的になり得るし個人的な経験に基づくものなので、クラフトビールの定義をしようとするのは大変な作業である)と言っていて、実際にCraft Beer自体を直接的に定義することは避け、Craft Brewerを定義する形をとっています。

以上のことをもって、クラフトビール(Craft Beer)は定義されていないし、日本ではCraft Brewerさえも定義されていないので、日本独自の定義があって良いはずだと考える人がいるのかもしれません。しかもBA自身もCraft Beerの定義は主観的になりえると言っているので、各々が勝手に定義しても差し支えないという論があっても仕方ないのかなと思っています。ただし、クラフトビール(Craft Beer)という言葉がマーケティングの道具として使われることに関しては、憤りを感じることもあります。少し長い引用になりますが、ギャレット・オリバーがかつてこのように言っています。

私たちは長い間大手醸造業者を相手に戦ってきました。彼らが使う戦術の多くは、ずるいもので、法律でも認められていません。私たちを市場から閉め出すために可能な限りあらゆることをされた例もあります。家を二重の抵当に入れて生活を危険に晒しているような小さなクラフトビア醸造業者にとっては、非常に感情的な問題も存在します。多くの人々はクラフトビアで成功するために長年にわたる貧窮に耐えてきました。そこに、ある意味で彼らの姿を装った工業的製造業者が現れるのです。ある部屋に入ってみたらそこに私の帽子と服を身に着けた男がいて私の名前を名乗っている、というようなものでしょう。もちろん、その男は私ではありません。しかし消費者が必ずしもその違いを理解できるとは限りません。

Beyond a Door — Interview with Garrett Oliver AUGUST 17, 2013

つまり大手メーカーがCraft Beerを名乗るのは長年Craft Brewerたちが苦労して育んできた文化の盗用にあたるという批判です。しかし、そのギャレットが所属するBrooklyn Breweryは後に日本の大手メーカーと資本提携して、一緒にクラフトビールの普及を進めており、この問題は「大手vsクラフト」という単純構造にはなかなか落とし込めない部分があります。

ちなみに日本には「地ビール」という独自のムーブメントがあり、日本ではクラフトビール=地ビールという認識が一般的なように思います。JBA(全国地ビール醸造者協議会)はこちらのページでクラフトビール=地ビールという説明をしており、定義に関してはBAの定義を準用しています。私にはかなり納得感のある説明に思えます。私も年配の人に説明するときは自らを地ビール業者と言うことが多いですし、年配の人から「クラフトビールとは何か」と聞かれると「地ビールのことです」と答えることが多いです。最近私はクラフトビールの定義論争に疲れてきたので、自らを積極的に地ビールと称することが増えてきました。また、英語にはCraft Brewerの類義語としてMicro Brewerという言葉があります。これは文字通り規模を表す言葉なので、マイクロブルワーやマイクロブルワリーという言葉を使っている限り、クラフトビールの定義論争に巻き込まれないで済むので、平和に過ごせるかなと思っています。

BAがいう「小規模」とは何かというと、現行の定義は年間600万バレル(リットルに換算すると70万KL)の生産量です。サッポロビールの2018年のビール類の課税移出量は56.6万KLなので、アメリカの基準を当てはめるとサッポロビールは小規模なので、規模の面だけで言えば堂々とCraft Brewerを名乗ることができます。この他、Brewdogが日本の大手メーカーと提携したり、オーストラリアではクラフトビールと言われている有名Craft Brewerの多くが日本の大手メーカーの傘下だったり、現在は「大手vsクラフト」の二元論では語れない事象が多くなっています。いずれにしても定義だけに固執した議論をするのは生産性がないし、不毛なので、自分自身のクラフトビール観は持ちつつも、いろいろなポジションの人の多様な見解についても理解をしていきたいと思っています。

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Shiro Yamada

ビール、蒸留酒 Far Yeast Brewing株式会社 代表取締役 https://faryeast.com/